物語映画の三つの方向

スローシネマとポール・シュレイダー『聖なる映画』(2018)

2022/01/16

ポール・シュレイダー[Paul Schrader]はアメリカの映画監督で、『タクシードライバー』『レイジング・ブル』などを担当した脚本家としても知られている。

映画に関する理論的な本も書いており、主著のTranscendental Style in Film: Ozu, Bresson, Dreyer』(1972)は、1981年にフィルム・アートから『聖なる映画─小津/ブレッソン/ドライヤー』として翻訳も出ている。いまは絶版っぽい。

『聖なる映画』は、シュレイダーがUCLAの映画学科で書いた修士論文がもととなっており、小津安二郎、ロベール・ブレッソン、カール・テオドア・ドライヤーという三人の監督を、「超越的スタイル」という共通点から分析した本である。英語圏ではわりとよく読まれている本で、2018年には増補版が出ており、そこでシュレイダーはいわゆる「スローシネマ」を、自身が検討したスタイルの延長線上にあるものとして記述することになる。

スローシネマは2000年代から2010年代にかけて浮上してきた、アートシネマのサブカテゴリーで、物語性やアクション性を削り、ゆったりといつまでも続くような長回しを特徴とする。誰が書いたのやら、やたらと詳しいWikipediaを読めばだいたいのノリは掴めるだろう。代表的な映画監督としては、アンドレイ・タルコフスキー、テオ・アンゲロプロス、アッバス・キアロスタミ、シャンタル・アケルマン、アレクサンドル・ソクーロフ、タル・ベーラ、ツァイ・ミンリャン、ペドロ・コスタ、ラヴ・ディアス、アピチャッポン・ウィーラセタクンらが挙げられることが多い。要するに、イメージフォーラムでやってるようなシネフィル好みの映画だ。おおむね、21世紀以降の国際映画祭におけるアジア勢の台頭を受けてシェイプされてきたカテゴリーだと思われるが、遡るかたちでタルコフスキーやアンゲロプロスもカテゴライズされている模様だ。

ちょうどスローシネマについて書いていてシュレイダーの本も読んだのだが、増補版においてシュレイダーが提示している、映画監督をマッピングした図が面白かったので日本語版を作ってみた。オリジナルはこちらなどで見れる。

PSマッピング.png

シュレイダーは、自身がかつて論じた「超越的スタイル」(小津、ブレッソン、ドライヤー)がダイアグラムのほんの一角を占めることを認めつつ、従来の物語映画から飛び出した映画たちが向かっていく先を、三つに分類している。以下、それぞれを特徴づけている箇所。

また、「タルコフスキー・リング」なる境界線を引いており、境界線の外側に位置する映画はもはや劇場に足を運ぶ鑑賞者向けではなく、映画祭や美術館向けのものだと述べている。タルコフスキーならふつうの鑑賞者でもかろうじて楽しめる、というのが眉唾で笑える。

スローシネマは、方法論的にはバザン的な美学の発展だと思っていたのだが、それはシュレイダーにおける三つの方向のひとつでしかなく、そのほかに現代アートな方向とスピリチュアルな方向がある、というのが面白い。個々の作家に関するマッピングの是非はともかく、シュレイダーのダイアグラムはアートシネマという生態系をそれなりによく表していると思う。ここにない監督の位置づけを考えてみるのも面白い。

ところで、シュレイダーは映画におけるこれらの傾向を必ずしも好意的に捉えていないどころか、たびたび攻撃している。実際、正気の観客をうんざりさせるほどスローなアートシネマは前々から賛否両論であり、2011年には評論家のDan Koisが『New York Times Magazine』上に「ホウ・シャオシェンみたいなゆったりとした映画は見てられん」と愚痴って炎上するという珍事もあった。デヴィッド・ボードウェルが書いているように、現代の映画文化は大衆向けの速いブロックバスター映画と、芸術祭向けの遅いアートシネマというかたちで二極化しているらしい。その辺りを含め、スローシネマについては上で匂わせた論考を近々発表できると思う。