日記

2021/03/06

バインミーにありついた。値段を考えると、可もなく不可もないバインミーだった。

2021/03/05

雨のなか夕飯を買いに出かけたら、ご自分はカッパを身にまとい、柴犬のために傘をさして歩いているおばあさんがいた。すごく歩きづらそうだったが、犬を濡らしたくないのだろう。犬は、別にどっちでもよさそうだった。

2021/03/04

二日連続でお腹をすかせている。 なぜこんなことになってしまうのだろうかと自分なりに反省した結果、①家に食べものを常備していない、②買いに出かけるのが億劫、③そもそもなにを食べようか考えるのが億劫、④食事よりもやりたいことがある、⑤食事よりもやらなければならないことがある、という感じで「そんなあなたに完全食!」の“そんなあなた”に成り果てたため、BASE BREADをポチった。これで暮らしぶりがどう変化するのかいまから楽しみだ。

日記を見返してみると、食べ物の話ばかりしている。私の一日はおおむね、なにを食べたか、なにを食べなかったかに尽きるようだ。このような要約は不適切ではないし、まんざらでもない。

2021/03/03

早稲田松竹で『ヴィタリナ』と『イサドラの子どもたち』の二本立てを見た。たいそう気に入ったというほどではないが、どちらも押し付けがましくなく感じの良い作品だった。ペドロ・コスタははじめて見たので、ほかの代表作もチェックしたい。

早稲田周辺はいくたびどぎまぎするが(日吉と三田に通っていたから、というのは自意識過剰だろうが)、今回は西早稲田から松竹へ直行したおかげで、嫌な感じはしなかった。感じが悪いのは高田馬場だ。高田馬場には知らない人たちの青春がこびりついていて、息苦しい。

2021/03/02

仕事帰りに自由が丘で電車を待っていたら、薄暗い車両がやってきた。いつのまにか窓ガラスに知らない技術でも導入されたのだろうか、と思ったら停電だった。すぐ近くで線路沿いの足場が崩れ、電線がやられたらしい。なんだかわからないがとりあえず乗り込むと、節電のためということでドアが閉められ、我々は薄暗い車両の中になかば閉じ込められるかたちになった。高所に比べたら閉所はそうでもないが、あまりいい気持ちはしなかった。

結局、10分ほど経っても出発の目処は立たず、先頭車両と最後尾のドアだけ開かれることになり、数人に続いて私も下車した。仕方がないので徒歩で帰宅する。暗くて寒くて風も強かったので、総じて嫌な気持ちになったが、少なくとも日記の話題にはなったのでよかった。

2021/03/01

風呂上がりにPatrice Rushen「Number One」を流してノリノリになるなどした。結局、パリッとシンコペーションしたディスコが一番なのだ。The Whispers 「Imagination」しかり、EWF「Jupiter」しかり。

2021/02/28

昨日からまぶたがピクピク痙攣している。今日の夕方ぐらいまでは左目だけだったが、いつのまにか両目になった。非対称でピクピクされるよりはマシなので、それはいいのだが。

目を休めようと思い、小一時間ほどギターを弾いていたが、よくよく考えても私の生活上、目を使わない活動はギターの練習ぐらいしかない。生まれ変わるなら一度ぐらい深海魚の暮らしをしてみたいが、ほかにも生まれ変わってみたいものがいくつもあるなかで、深海魚の優先順位はそんなに高くない。

2021/02/27

今日はバインミーを食べそこねた。朝から作業をしていて、気づいたらラストオーダーの時間を過ぎていた。

かわりに、マクドナルドに行ってテリヤキバーガーのセットを買う。マックはもう久しく行っていなかった。少なく見積もっても二年ぶりだろうか。ポテトをコーラで流し込むと、なんだか急に中学生のころを思い出した。中学の近くにあったマックは、デュエリストとモンスターハンターのたまり場と化して、まもなくつぶれた。

想像以上でも以下でもないテリヤキをかじりながら、食べそこねたバインミーについて、考える。

2021/02/26

アリ・アスター監督『ヘレディタリー/継承』を見た[感想]。『ミッドサマー』がだいぶとしょうもない作品だったので、そんなに期待せず見始めたが、しっかり怖かった。オカルトのホラーでもあり、家族崩壊のホラーでもあり、正統派でもありオルタナティヴでもある。いい映画を見た日は、いい日だ。

二年前ぐらいから熱心にホラー映画を見ている。怖いのは嫌で、嫌なことはなるべく避けて生きるつもりなのだが、ホラーは例外のひとつだ。「怖いのになぜ見ようとするのか」問題は分析美学でも定番トピックのひとつで、前に発表の関連で勉強もしていたのだが、いまだ自分のなかでしっくりくる説明は見つけられていない。ある意味では、分からないからこそホラーを見たがるのだろう。しっくりくる説明を見つけたとして、それでも私はホラーを見続けるだろうか。

2021/02/25

論文の手直しをした。「画像と言語のアナロジーはどこまで/どれだけ有効なのか」と題した描写の哲学論文で、昨年12月のはじめにドラフトをブログにあげてから、かれこれ3ヶ月ぐらいいじくり回していることになる。

自分の書いたものを手直しすることは楽しい。目障りな一文を取り除いたときにはすかっとするし、然るべき場所に然るべき句読点を置いたときには、実に正しいことをした気持ちになる。レイモンド・カーヴァーもエッセイでそんなことを書いていた気がする。

2021/02/24

朝食にバタースコッチのパンをみっつ食べた。バタースコッチといえば、私はテレキャスターの定番色バタースコッチブロンドとして知っていたが、パンははじめて食べた。オーブンで焼いたらほどよいさっくり食感で、甘すぎず、コーヒーとの相性も良かった。

そういえば、BSBのストラトキャスターは見たことがないな、と思い画像検索したら一応あった。が、違和感がだいぶ強い。誰がどういうつもりで選ぶんだろうか。

2021/02/23

いつものように自転車でアルバイトに向かったら、道中の信号すべてに引っかかった。それも、接近中に青から赤に変わりフル尺で待たされるというのが計8回ほど続いた。

日記にはなるべくこういう出来事を書こう、と思った。

2021/02/22

夕飯にキムチ鍋を食べた。日中に食べたものと言えばバリューブランドのやくざな炒飯と残り物のみそしる(白菜しか入っていない)、あとは温めたカントリーマアム五つだけだったので、少しは身体をいたわるものを食べようと思ったわけだ。キムチ鍋を毎晩食べる人のブログポストを見てから、このメニューには(栄養面に関して)相当の信頼を寄せている。しかし、一時期、完全食だからと連日食べ続けた(一人暮らしだとよくあることだ)末に、そんなに好きではなくなったメニューのひとつでもある。同じ運命をたどったメニューとして、お好み焼き。しこたま食べているけど、いまだ飽きのこないメニューは、カレーと、生ハムの冷製パスタ。今年の夏もパスタばかり食べるつもりだ。

久々に食べたキムチ鍋はなかなか美味しかったが、明日も食べなければならないというのが問題だ。

2021/02/21

頭がきりきりと痛くて、ずっとこめかみをこねている。こねることによって悪化しているのか改善しているのか分からないところがなんとも悩ましい。私の生活は、基本的にPC作業(夏場はデスク、冬場はこたつ)に尽きるため、頭痛のひとつやふたつは日常茶飯事だ。こめかみこねこねの是非に比べたら、頭痛自体はたいした問題ではない。

なんとなく作業用BGMとしてHenry Flyntの『You Are My Everlovin / Celestial Power』を流していたが、これはだいぶと頭の痛い音楽なのではないかと思われてきた。圧迫感のあるドローンが低音で鳴り続け、その上を予測不可能なストリングスがキュイキュイとねじく。一周まわって頭痛のきりきりと相殺するのではないか、という考えすら浮かんできた。そんなはずはなさそうだが、そうとも言い切れない。身体について知らないことはたくさんある。

2021/02/20

『ストレンジャー・シングス』のシーズン2を観終わった。終盤、いまどき珍しいぐらい露骨な死亡フラグをぶっ立てて、フルスピードで昇天した人物がいた。

あんまりだと思った。死んでしまったことも、死に方がクリシェだったことも。

クリシェと言えば『ストレンジャー・シングス』自体、80年代レトロによって駆動する諸コンテンツの仲間であり、そびえ立つクリシェだ。なんだか、Get LuckyからDynamiteまで時間が止まってしまったみたいだ。

「クリシェを擁護する」というのが私の支持する美学的立場だが、最近はクリシェに対する愛憎のうち、憎部分にも気がついてきた。それしかないならそれでどうにかやっていくしかない。問題は、ほんとうにそれしかないのか、だ。

2021/02/19

一度冷凍した米が嫌いだ。嫌い過ぎてそのまま食べるのは不都合なため、ラードと卵で炒飯にした(ネギも肉も入っていない炒飯が炒飯と呼べるかはともかく)。ごく控えめに言っても仕上がりは悲惨だった。美味しい納豆を載せてもダメだった。わるあがきしたって、冷凍した米は冷凍した米だ。

私の記憶において、母はいつも冷凍した米を食べていた。かの女はそれを好都合とも不都合とも考えていない様子だった。平気な顔で冷凍した米を食べられることは、私が母を尊敬する理由のひとつだ。