日記

2021/04/10

実家で愛犬と遊んだ。一休みしてふと庭を見ると、でかめのねずみが白昼堂々なにかを齧っている。最近よく出没するらしい。ねずみはたいへんリラックスしており、まさしくfeel at homeなご様子。昼間ですらこんなにふんぞり返っているのなら、夜中は友達を集めてカクテルパーティーといったところか。母はそんなに意に介していない様子だったが、父は嫌そうだった。父はこういうのをとても嫌がる。

2021/04/09

久々に自転車で大学まで行ったら、道中二回も転びかけた。一度目は、散歩中のテリア。もふもふでかわいいな、と思いながら接近したら、振り向きざまに殺意丸出しで吠えられた。びっくりした。二度目は、蚊柱。私が知る限り、大橋の業務スーパー前は年がら年中ユスリカどもがたむろしているのだが、一体どういう了見で野放しにされているのかはなはだ疑問だ。うんざりした。

駒場ではボードウェル&トンプソンの『フィルム・アート』を買った。まさか『論理学をつくる』よりもでかいとは思わなかった。今年度もやることはたくさんあるだろうが、合間合間に映画理論の勉強もできたらと思っている。

帰って『或る夜の出来事』を見た。まぁ、それなりだった。

2021/04/08

今日は映画を見なかった。見ようと思えば見れた、見たい作品のなかには、『海よりまだ深く』『戦場のメリークリスマス』『わたしはダニエルブレイク』『ゲームの規則』『或る夜の出来事』などが含まれる。明日はどれかを見る。

2021/04/07

『ビューティフル・マインド』で知ったが、ジョン・ナッシュは二十歳そこらでナッシュ均衡を思いついたらしい。恐れ入った。

2021/04/06

深夜にコーラ買いに出かけたら、たぬきがいた。アライグマかもしれない。

2021/04/05

寿司を食べた。そういうことだ。

2021/04/04

BASE BREADのカレーパンを食べた。なんか小さいくてゴロッと重いやつだった。ちいゴロ。

2021/04/03

近所の喫茶店でダーティチャイなるものを飲んだ。チャイラテにエスプレッソを混ぜた代物らしい。美味いものと美味いものを混ぜて美味いものになる、という申し分のないドリンクだった。安かったし、また行こう。

2021/04/02

フランク・シブリーの「Aesthetic and Non-aesthetic」について勉強していた。シブリーは趣味や感性の行使を条件とする美的知覚込みの美的判断にこだわる。一方で、美的知覚なしに「優美である」とか「けばけばしい」といった用語を適用できるだけでは、プロパーな美的判断ではない、とする。

この狭い意味での「美的判断」はヒューマニスティックなものだ。シブリーは論理的な推論によって導かれる性質帰属を美的判断から(それこそ、繰り返し)排除しようとしており、人間的なセンスを介した直接知覚を重んじる。この点で、シブリーもまた伝統的な美学=感性学の系譜に連なっているわけだが、これは美学という学問全体のミニマムベットなのかもしれない。

2021/04/01

海南鶏飯を作った。ベチャベチャになって萎えた。

2021/03/31

ファミリーマートのクリスピーチキンを探すもハントならず。ファミチキで我慢するが、ファミチキはふつうに美味いのでそれなりの満足感を得る。

2021/03/30

映画を倍速で見ることのなにがわるいのか」についたコメントを読みながら、おもいやりインターネットについて考えるなどした。

昼食に食べたとんかつがだいぶと美味かった。とんかつはやっぱり塩である。

2021/03/29

グリーンカレーを食べた。辛かったが、美味しかった。

2021/03/28

私の修士論文は、写真に関する本質主義的のいちバリエーションとして、「二面性説」という立場を擁護するものだった。それは、「写真は本質的に客観的である」というリアリズムと「写真は本質的に意図の産物である」という反リアリズムをともに退け、「ある面では客観的であり、ある面では意図の産物である。そのような二面性を本質的に持つ」という立場であった。従来、写真に関するリアリストとしてくくられてきたケンダル・ウォルトンからこのような二面性説を取り出す、というのが第三章の作業である。二面性説において写真を理解することは穏当だと今でも考えているが、とある箇所に関して完全に間違っていた。それは、二面性と写真の芸術性を結びつけようとする箇所である。

私はシンディ・シャーマンウィリアム・エグルストンという一見正反対なスタイルを持つ写真家を取り上げ、かの女らがともに「二面性をリソースとした操作」によって写真ならではの芸術性を達成していると肯定的に評価した。しかし今では、「性質Fが写真の本質であるならば、Fを活用した写真こそが良い写真である」という前提が危ういだろうと考えている。バザンやグリーンバーグが同様の手順で長回しや平面性を擁護していたことから、こういった主張は自然と可能だと思っていたのだが、少なくとももっと慎重になるべきだということをノエル・キャロルが気づかせてくれた。ということで、あそこの主張は撤回したい。こういった撤回は、思いつく限り今後もたくさんしていこうと考えている。

2021/03/27

冷蔵庫にレバパテがあったので昼食に食べようと思っていたのだが、どう食べればいいのか分からなくなった。分かっていたからこそ買ったはずなのだが、冷蔵庫から取り出してみると実家のわんこが普段食べている缶詰にしか見えず、テンションが上がらない。買う前に、その類似性を誰かに指摘してもらうべきだった。

逆転ホームランなアイデアは思い浮かばなかったので、家にあったもので即席のサンドイッチを作った。ベーコン、目玉焼き、炒めたオニオンと一緒にトーストではさみ、ナンプラーをたらす。味は及第点といったところ。レバパテの使い道を考える、というのをToDoリストに加えた。

2021/03/26

シン・エヴァンゲリオンを見てきた。こんな時勢に渋谷TOHOにすし詰めとはさぞ嫌な気持ちになるだろうなと思いつつ出かけたが、幸運にも左右空き席で、途中トイレに行きたくなることもなく、劇場を出たらぽかぽかと暖かい春の陽気だった。こう身体的に気持ちのいい鑑賞経験は肯定的な作品評価にも間違いなく入り込んでいるだろう。

2021/03/25

先日見つけたお店でソーセージを買って帰り、『よつばと!』のとーちゃんのソーセージ丼を作って食べたが、その過程でなにを考えていたのかまったく思い出せない。ダミーシステムみたいに、身体がオートモードでやるべきことをやってくれるときがたまにある。明日はシン・エヴァンゲリオンを見に行く。

2021/03/24

『死霊の盆踊り』からの『ライムライト』を見た。当たり前だが、差がえぐかった。

2021/03/23

中目黒のプリン屋さんに立ち寄ったついでに洋服店に入ったら、面白いアニマル靴下が売られていた。コビトカバ、クアッカワラビー、マヌルネコ、ハシビロコウ、ミナミコアリクイ(欲しい)といった個性豊かな面々のなかでもとりわけ異色を放っていたのはヘビクイワシの靴下。知らない生き物だったが、家に帰って調べたところ、長いまつげと両脚を持ち、ヘビなどを蹴り倒して食べる鳥らしい。サンジじゃん。

2021/03/22

ふと思い立ってミクロ経済学の勉強を始めた。価格理論の冒頭から知らないことずくめで、私も私だが、私に学士(経済学)を与えた大学も大学だな、と思った。

それはそうと、経済学といえば、理論化やモデル化は哲学の比じゃないぐらい定石の分野だが、同程度に反理論家からの攻撃を受けているようで苦労が伺える。逆に言えば、理論の意義についての説明/弁明がかなりちゃんとしていて、今回はそれを学ぶ目的で勉強しなおしている。現実を抽象化し、そこから重要な構造的性質を取り出すという作業の意義は言わずとも明白だと思うのだが、そうでないと考える人はなにを考えているんだろう、とよく考える。

2021/03/21

夜食買いにコンビニ言ったら、ベロンベロンに酔った兄ちゃんと、ブチブチにキレてる店員と、手がビショビショの店員がいた。ブチギレ店員の矛先は、ベロン兄ぃではなくビショ濡れ店員だった。レジはビショ濡れ店員が対応してくれたので、私の夜食は一通り濡れた。

雨上がりと同時にいつもより不都合な世界に迷い込んでしまったのか。ちょっといやな気持ちになりながら帰った。

2021/03/20

その日に聞いたアルバムを日記に記録しておくのも悪くないな、と思い、記しておく。朝、洗い物をしながらGeorge Benson『Give Me The Night』(1980)、出かけるときにJames Brown『Hell』(1974)と『Hot Pants』(1971)、帰りにTuxedo『Tuxedo Ⅲ』(2019)とTWICE『Feel Special』(2019)。

JBの「Hell」を聞いていたら、ちょっとしたことに気づいた。イントロ終わりにJBがシャウトして「It's Hell」でテーマに入る直前、ジジッと着火したような音が聞こえる。レコードノイズかと思ったが、タイミング的にも主題的にもたいへん好ましい効果音になっているのが面白い。

Hellといえば、相席食堂で流れて千鳥の二人がツボっていたBGMでもあるのだが、JBが娘と一緒に出てるSoul Trainはもっとツボるかもしれない。髭を伸ばしていた頃のJBはいろいろとダメだったが、髭をそった後はなおさらダメだったので、私はそれなりに髭JB期が好きだ。

2021/03/19

ブランダムの推論主義に関する論文を読んで、かなり勉強になった。意味論における推論主義や、コミットメントベースの語用論など、ブランダムの基本的なアイデアがおさらいできるだけでなく、推論主義をとる上での理由/動機が探られており、学びが多い。曰く、推論主義をとるべき積極的な理由は与えられておらず、そこにあるのはむしろ理論的な興味・野心らしい。一昨日書いたように、私が反意図主義について持っているのもまさにこのような関心だ。

つまるところ、ブランダムの立場選択は合理的人間観に対する実存的な“賭け”として読めるんじゃないか。私はこの手の精神分析をほんとうに不健康だと思っているので、言うのも言われるのも回避していきたいと考えている。言うまでもなく、ゲームは楽しいが、喧嘩はみっともない。

2021/03/18

塾で現代文を教えていて、次のような文章を読んだ。曰く、近代におけるブルジョワ的レトロ趣味、モダンデザイン、ナショナリズムは、いずれもある種のアイデンティティ不安に起因する。それらは宗教的・家族的な結びつきに対する補完の試みなのだが、いずれも十全には達成されておらず、自己の不確かさはつねにつきまとうのだ、と。

アリ・アスターしかり、奇妙な道筋を経て自己を実現し、新たな“家族”を得る類のホラーをよく見かける気がする(アリ・アスターしかり、『サスペリア』しかり)。今日見たアニャ・テイラー=ジョイ主演の『ウィッチ』も、共同体的・家庭的に疎外された少女が“本当の自分”を見つける物語だった。もっとも私としては、単線的な自己実現とは異なる別様の解決を見てみたい気持ちがなくもない。

2021/03/17

ノエル・キャロルの『批評について』を読み返している。キャロルはかなり現実意図主義寄りの論者なのだが、おそらくはかなり反意図主義寄りであっただろう私(2018)の辛辣な書き込みが散見される。この前、「反意図主義に寄っていく人はなにゆえに寄っていくのか」というメタ問いについて考えていたのだが、思うに以下のコンビネーションだろう:(1)偉そうな「作者」がうざい、(2)バルトやらフーコーを鵜呑みにしている、(3)読者優位の批評を正当化したい、(4)反意図主義であることを一種のリベラルな表明だと考えている。

血の通った他人がリソースを割いて生み出した人工物である、という不可避の条件を踏まえると、芸術作品に対して反意図主義的な立場をとることはさしあたり失礼なことだ。思いっきり矮小化するならば、この失礼さをどうにか許容する理屈を探すのが反意図主義というプロジェクトになるわけだが、最終的に失礼さを補うだけの利点が見つかるとしても、失礼であることに変わりはない。私(2021)はこの見方に同意している。私はそれでも反意図主義に立つつもりなのだが、その動機は純粋にゲーム的なものにシフトしつつある。この話はまた今度書くことにしよう。

2021/03/16

ハムやソーセージをリーズナブルに手に入れられる直売店を発見。QOLが上がった。

2021/03/15

久々にポケットモンスターエメラルドをやった。うちのBFパーティは以下。

  • 「ニーチェ」:ミノカロス。耐久型。メロメロ+どくどくからのじこさいせい&たべのこしでイライラプレイに持ち込む。

  • 「マルクス」:メタグロス。こだわりハチマキ持参。コメットパンチorじしんでのゴリ押し+だいばくはつオチ担当。

  • 「フロイト」:ラティオス。特攻型エース。めいそう積んでからのサイコキネシスor10まんボルトorれいとうビームでたいていの敵は落とせる。

ニーチェ育成にかかった時間で論文1本ぐらいかけたかもしれないが、それはそれ、これはこれだ。

2021/03/14

スキレットが欲しくて渋谷の東急ハンズに行ったが、なんだかそんなに欲しいわけでもない気がしてきて、買わずに帰ってきた。

いま欲しいキッチン用品は、Turkのクラシックフライパン(かっこいい)、厚手のマグカップ(くびれたやつ)、ホットサンドメーカー(トーストをよく食べるので)、フードプロセッサー(玉ねぎのみじん切りはもういやだ)。

2021/03/13

お昼に定食を作った。献立は、生姜焼き、なめこの味噌汁、ほうれん草のおひたし、白米。作り置きのチーズケーキも食べたので、お腹いっぱいになった。

2021/03/12

注にあれこれいっぱい書いちゃう人のことを「注に病」と呼ぶのを思いついたが、Twitter検索したらすでに思いついている人がいて悔しい思いをした。

説明不足のせいで誤解されるのはむかつくので、私もやたらと注を散りばめてしまう。他人もそういうつもりで書いているのだろうと思うと、注というのがなんとも殺伐で鬱屈とした空間に見えてくる。

こんなこと、わざわざ説明してやる義理もないな、という思いで注を[Delete]するときの手触りは嫌いじゃない。後からこれをやるために、ドラフトにはなるべく多くの注を付けている、みたいなところもある。

2021/03/11

隣駅からさらに少し歩いたところに、いい中華料理屋を見つけた。町中華のカウンターで食べる丼ものやラーメンもいいが、テーブル席で小皿大皿たくさん広げて食べる中華が好きだ。なんとなく、自分はハンバーガーやピザみたいな、それさえ食べればいい実直なメニューが好きだと思いこんできたが、ぜんぜんそんなことないのかもしれない。

2021/03/10

大和田俊之『アメリカ音楽史』を読み終えた。学部時代に大和田先生が断片的にお話されていたことがちらほら出てきて、自分のなかでの整理に役立った。

繰り返し強調されるのは音楽ジャンルと人種の結びつきに関する、一見したところ以上の複雑さである。社会的・技術的背景、産業的な対立、他者への〈偽装〉欲、といった微妙な力関係からジャンルの歴史を捉え直す作業はとてもスリリングで読み応えがある。

首を傾げてしまう箇所もある。とりわけ、ヒップホップのサンプリング文化を考える箇所で、いわゆるポストモダン思想との接続をされていたが、改めてこのようなムーブのうれしさについては考えてしまう。ある作品のある性質が「{任意の思想}的」であるという指摘は、いったいどういう美的判断なのか。ちゃんと評価の理由付けになっているのか。私の卒論はこういう記述ばっかりだったが、今ではこういう記述への文句ばっかりだ。

2021/03/09

一週間ぐらいブラックコーヒーのかわりにカフェオレを飲んできたが、なんとなく身体が重く、しゃきっとしないので、明日からブラックコーヒーに戻すことにする。

2021/03/08

愛用している16cmのフライパン、ずっと蓋がなかったんだけど、土鍋の蓋で代用できることに気づいてちょっと得した。

2021/03/07

今年も学振の季節が近づいてきた。「研究者」「哲学者」「美学者」としての自己認識について考えているが、総じて三文字の「○○者」には可愛げがなく(cf. 犯罪者、偽善者、感染者)、あんまり積極的に使おうとは思えない。また、「○○者」を自称するのはやっぱりどこか奇妙であり、それらはどうしても他人から他人へのラベルでしかないんじゃないか、とすら思っている。

自己紹介が苦手だ。他人にどう思われても構わないが、私は他人にはこう思われたいんですよ、ということを他人に知られるのは気まずい。

2021/03/06

バインミーにありついた。値段を考えると、可もなく不可もないバインミーだった。

2021/03/05

雨のなか夕飯を買いに出かけたら、ご自分はカッパを身にまとい、柴犬のために傘をさして歩いているおばあさんがいた。すごく歩きづらそうだったが、犬を濡らしたくないのだろう。犬は、別にどっちでもよさそうだった。

2021/03/04

二日連続でお腹をすかせている。 なぜこんなことになってしまうのだろうかと自分なりに反省した結果、①家に食べものを常備していない、②買いに出かけるのが億劫、③そもそもなにを食べようか考えるのが億劫、④食事よりもやりたいことがある、⑤食事よりもやらなければならないことがある、という感じで「そんなあなたに完全食!」の“そんなあなた”に成り果てたため、BASE BREADをポチった。これで暮らしぶりがどう変化するのかいまから楽しみだ。

日記を見返してみると、食べ物の話ばかりしている。私の一日はおおむね、なにを食べたか、なにを食べなかったかに尽きるようだ。このような要約は不適切ではないし、まんざらでもない。

2021/03/03

早稲田松竹で『ヴィタリナ』と『イサドラの子どもたち』の二本立てを見た。たいそう気に入ったというほどではないが、どちらも押し付けがましくなく感じの良い作品だった。ペドロ・コスタははじめて見たので、ほかの代表作もチェックしたい。

早稲田周辺はいくたびどぎまぎするが(日吉と三田に通っていたから、というのは自意識過剰だろうが)、今回は西早稲田から松竹へ直行したおかげで、嫌な感じはしなかった。感じが悪いのは高田馬場だ。高田馬場には知らない人たちの青春がこびりついていて、息苦しい。

2021/03/02

仕事帰りに自由が丘で電車を待っていたら、薄暗い車両がやってきた。いつのまにか窓ガラスに知らない技術でも導入されたのだろうか、と思ったら停電だった。すぐ近くで線路沿いの足場が崩れ、電線がやられたらしい。なんだかわからないがとりあえず乗り込むと、節電のためということでドアが閉められ、我々は薄暗い車両の中になかば閉じ込められるかたちになった。高所に比べたら閉所はそうでもないが、あまりいい気持ちはしなかった。

結局、10分ほど経っても出発の目処は立たず、先頭車両と最後尾のドアだけ開かれることになり、数人に続いて私も下車した。仕方がないので徒歩で帰宅する。暗くて寒くて風も強かったので、総じて嫌な気持ちになったが、少なくとも日記の話題にはなったのでよかった。

2021/03/01

風呂上がりにPatrice Rushen「Number One」を流してノリノリになるなどした。結局、パリッとシンコペーションしたディスコが一番なのだ。The Whispers 「Imagination」しかり、EWF「Jupiter」しかり。

2021/02/28

昨日からまぶたがピクピク痙攣している。今日の夕方ぐらいまでは左目だけだったが、いつのまにか両目になった。非対称でピクピクされるよりはマシなので、それはいいのだが。

目を休めようと思い、小一時間ほどギターを弾いていたが、よくよく考えても私の生活上、目を使わない活動はギターの練習ぐらいしかない。生まれ変わるなら一度ぐらい深海魚の暮らしをしてみたいが、ほかにも生まれ変わってみたいものがいくつもあるなかで、深海魚の優先順位はそんなに高くない。

2021/02/27

今日はバインミーを食べそこねた。朝から作業をしていて、気づいたらラストオーダーの時間を過ぎていた。

かわりに、マクドナルドに行ってテリヤキバーガーのセットを買う。マックはもう久しく行っていなかった。少なく見積もっても二年ぶりだろうか。ポテトをコーラで流し込むと、なんだか急に中学生のころを思い出した。中学の近くにあったマックは、デュエリストとモンスターハンターのたまり場と化して、まもなくつぶれた。

想像以上でも以下でもないテリヤキをかじりながら、食べそこねたバインミーについて、考える。

2021/02/26

アリ・アスター監督『ヘレディタリー/継承』を見た[感想]。『ミッドサマー』がだいぶとしょうもない作品だったので、そんなに期待せず見始めたが、しっかり怖かった。オカルトのホラーでもあり、家族崩壊のホラーでもあり、正統派でもありオルタナティヴでもある。いい映画を見た日は、いい日だ。

二年前ぐらいから熱心にホラー映画を見ている。怖いのは嫌で、嫌なことはなるべく避けて生きるつもりなのだが、ホラーは例外のひとつだ。「怖いのになぜ見ようとするのか」問題は分析美学でも定番トピックのひとつで、前に発表の関連で勉強もしていたのだが、いまだ自分のなかでしっくりくる説明は見つけられていない。ある意味では、分からないからこそホラーを見たがるのだろう。しっくりくる説明を見つけたとして、それでも私はホラーを見続けるだろうか。

2021/02/25

論文の手直しをした。「画像と言語のアナロジーはどこまで/どれだけ有効なのか」と題した描写の哲学論文で、昨年12月のはじめにドラフトをブログにあげてから、かれこれ3ヶ月ぐらいいじくり回していることになる。

自分の書いたものを手直しすることは楽しい。目障りな一文を取り除いたときにはすかっとするし、然るべき場所に然るべき句読点を置いたときには、実に正しいことをした気持ちになる。レイモンド・カーヴァーもエッセイでそんなことを書いていた気がする。

2021/02/24

朝食にバタースコッチのパンをみっつ食べた。バタースコッチといえば、私はテレキャスターの定番色バタースコッチブロンドとして知っていたが、パンははじめて食べた。オーブンで焼いたらほどよいさっくり食感で、甘すぎず、コーヒーとの相性も良かった。

そういえば、BSBのストラトキャスターは見たことがないな、と思い画像検索したら一応あった。が、違和感がだいぶ強い。誰がどういうつもりで選ぶんだろうか。

2021/02/23

いつものように自転車でアルバイトに向かったら、道中の信号すべてに引っかかった。それも、接近中に青から赤に変わりフル尺で待たされるというのが計8回ほど続いた。

日記にはなるべくこういう出来事を書こう、と思った。

2021/02/22

夕飯にキムチ鍋を食べた。日中に食べたものと言えばバリューブランドのやくざな炒飯と残り物のみそしる(白菜しか入っていない)、あとは温めたカントリーマアム五つだけだったので、少しは身体をいたわるものを食べようと思ったわけだ。キムチ鍋を毎晩食べる人のブログポストを見てから、このメニューには(栄養面に関して)相当の信頼を寄せている。しかし、一時期、完全食だからと連日食べ続けた(一人暮らしだとよくあることだ)末に、そんなに好きではなくなったメニューのひとつでもある。同じ運命をたどったメニューとして、お好み焼き。しこたま食べているけど、いまだ飽きのこないメニューは、カレーと、生ハムの冷製パスタ。今年の夏もパスタばかり食べるつもりだ。

久々に食べたキムチ鍋はなかなか美味しかったが、明日も食べなければならないというのが問題だ。

2021/02/21

頭がきりきりと痛くて、ずっとこめかみをこねている。こねることによって悪化しているのか改善しているのか分からないところがなんとも悩ましい。私の生活は、基本的にPC作業(夏場はデスク、冬場はこたつ)に尽きるため、頭痛のひとつやふたつは日常茶飯事だ。こめかみこねこねの是非に比べたら、頭痛自体はたいした問題ではない。

なんとなく作業用BGMとしてHenry Flyntの『You Are My Everlovin / Celestial Power』を流していたが、これはだいぶと頭の痛い音楽なのではないかと思われてきた。圧迫感のあるドローンが低音で鳴り続け、その上を予測不可能なストリングスがキュイキュイとねじく。一周まわって頭痛のきりきりと相殺するのではないか、という考えすら浮かんできた。そんなはずはなさそうだが、そうとも言い切れない。身体について知らないことはたくさんある。

2021/02/20

『ストレンジャー・シングス』のシーズン2を観終わった。終盤、いまどき珍しいぐらい露骨な死亡フラグをぶっ立てて、フルスピードで昇天した人物がいた。

あんまりだと思った。死んでしまったことも、死に方がクリシェだったことも。

クリシェと言えば『ストレンジャー・シングス』自体、80年代レトロによって駆動する諸コンテンツの仲間であり、そびえ立つクリシェだ。なんだか、Get LuckyからDynamiteまで時間が止まってしまったみたいだ。

「クリシェを擁護する」というのが私の支持する美学的立場だが、最近はクリシェに対する愛憎のうち、憎部分にも気がついてきた。それしかないならそれでどうにかやっていくしかない。問題は、ほんとうにそれしかないのか、だ。

2021/02/19

一度冷凍した米が嫌いだ。嫌い過ぎてそのまま食べるのは不都合なため、ラードと卵で炒飯にした(ネギも肉も入っていない炒飯が炒飯と呼べるかはともかく)。ごく控えめに言っても仕上がりは悲惨だった。美味しい納豆を載せてもダメだった。わるあがきしたって、冷凍した米は冷凍した米だ。

私の記憶において、母はいつも冷凍した米を食べていた。かの女はそれを好都合とも不都合とも考えていない様子だった。平気な顔で冷凍した米を食べられることは、私が母を尊敬する理由のひとつだ。