美的なもの(the aesthetic)をめぐる探求は、美学という学問のコアをなしている。その他の類の価値、経験、判断、態度とは区別される、美的な価値、経験、判断、態度とはなにか。それらは、倫理的、経済的、実践的な価値や経験とどう異なり、どう相互作用するのか。美的価値は、アイテムが快楽を与えるという観点から説明されうるのか。
鑑賞者は芸術作品を知覚し、解釈し、評価する。批評(criticism)は、芸術鑑賞におけるさまざまな判断を表明し伝達する行為として理解できる。批評とはなにを目的とした、どのような営みなのか。芸術作品のカテゴリー(ジャンル、形式、様式、メディアなど)は、その批評にどう影響するのか。芸術作品の正しい意味や価値は定められるのか。作者の意図はどこまで/どれだけ関与的なのか。
絵画、写真、スケッチ、版画といった広く「画像(picture)」と呼ばれるメディアはなにかを描いており、私たちはその表面上のデザインに目を向けることで、描かれるなにかにアクセスすることができる。とりわけ、画像が画像特有の仕方で持つ内容は、言語のそれとは異質であるように思われる。このような事態はいかにして成り立っているのか。画像がなにかを描く(depict)とはどういうことか。
絵画のような手製の画像とは異なり、機械的なプロセスを経て生成される写真的画像には、独自の性格があるように思われる。ケンダル・ウォルトン(Kendall Walton)によれば、写真は「透明」であり、鏡や望遠鏡や眼鏡と同じように「それを通して、文字通り、対象を見ることができる」ような画像である。ロジャー・スクルートン(Roger Scruton)によれば、事物の見た目を因果的に捉えるだけの写真的画像は、表象としての芸術性を持ち得ない。写真をめぐるこれらの言説は、どこまで/どれだけ妥当なのか。
分析美学[Analytic aesthetics]とは、分析哲学の流れを汲んだ、現代の英語圏において主流の美学研究である。1950〜60年代に批評の哲学、芸術の定義、美的なものなどについて論じたモンロー・ビアズリー、フランク・シブリー、ジョージ・ディッキーらを源泉とし、明瞭な論証と相互批判を通した洗練を学統の特徴とする。
美学や芸術哲学といったアカデミックな研究だけでなく、それらを応用(したりしなかったり)することでポピュラー音楽や映画についての批評も書いています。