研究

絵画、写真、スケッチ、版画といった広く「画像[picture]」と呼ばれるメディアはなにかを描いており、われわれはその表面上のデザインに目を向けることで、描かれるなにかにアクセスすることができる。とりわけ、画像が画像特有の仕方で持つ内容は、言語のそれとは異質であるように思われる。このような事態はいかにして成り立っているのか。画像がなにかを描く[depict]とはどういうことか。

描写を行う画像メディア(絵画、スケッチ、写真、グラフ)ごとに質的な違いはあるのか。絵画のような手製の画像とは異なり、機械的なプロセスを経て生成される写真的画像には、独自の性格があるように思われる。ケンダル・ウォルトン[Kendall Walton]によれば、写真は「透明」であり、鏡や望遠鏡や眼鏡と同じように「それを通して、文字通り、対象を見ることができる」ような画像である。ロジャー・スクルートン[Roger Scruton]によれば、事物の見た目を因果的に捉えるだけの写真的画像は、表象としての芸術性を持ち得ない。写真をめぐるこれらの言説は、どこまで/どれだけ妥当なのか。

芸術作品はなんらかの意味や価値を持っており、鑑賞者はこれを解釈し、理解する、評価する。このような実践において、作者の意図はどこまで/どれだけ関与的なのか。意図主義によれば、作品の内容や主題は少なからず作者の意図によって決定される。一方、反意図主義によれば、作品解釈と作者の意図は切り離すべきである。分析美学における有力な立場には、現実意図主義、仮説意図主義、価値最大化理論などがあり、それぞれの説明力をめぐって論争がなされている。